ayapoの美術館巡り

理系女子、西洋絵画を学ぶ。

そうだ、箱根に行こう。

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ポーラ美術館は、ずっとずっと行ってみたい憧れの美術館でした。

 

ただ、場所は箱根。

 

なかなかふらっと行ける場所ではありません、、、。

 

そんな中、モネとマティスの企画展が始まると知ったとき

 

「これは行くしかない、、、そうだ箱根に行こう!」

 

この時の私の行動力は今でもすごいなと思います。

 

一人で新宿から高速バスに乗り、4時間近くかけて憧れのポーラ美術館へ。

 

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お天気もよく◎(この時は夏だったかな、、)

 

外でバスを待つ時間などが重なり、汗だくになったのを覚えています。

 

ポーラ美術館のポーラとは、そう、あの有名化粧品会社のPOLAです。

 

あまり詳しくはないですが、ポーラ創業者さんのコレクションということで開館したようです。

 

そして、POLAの新人研修では名画鑑賞の時間があるそう……素敵ですね。

 

さすが、受付の皆様もお美しかったです。(綺麗なお姉さんに弱い)

 

はい、本題に戻ります。

 

企画展名は「モネとマティス もう一つの楽園」

 

モネとマティスにとっての楽園とは何だったのかなと、想像をしながら鑑賞しました。

 

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クロード・モネ (1878年) 『グランド・ジャット島』

 

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アンリ・マティス (1943年) 『リュート

 

モネは屋外、マティスは室内画が多いような印象です。

 

モネの屋外画といえば、誰もが思い浮かべるのは「睡蓮」ではないでしょうか。

 

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クロード・モネ (1916年) 『睡蓮』

モネの「睡蓮」という作品はいくつか存在し、日本でも西洋美術館に常設展として展示されています。

 

睡蓮は、モネの庭とも言われるジヴェルニーの庭で描かれた作品です。

 

モネが理想郷を求めて創り上げた庭です。

 

モネにとっての楽園とはまさに、ジヴェルニーの庭なのではないでしょうか。

 

一方で、私たちから見たモネの作品は、ジヴェルニーの庭で描かれたものに限らず全て楽園のように見えてきませんか?

 

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アンリ・マティス (1926年) 『オダリスク

 

アンリマティスは、このようなエキゾチックな女性像を多く描きました。

 

20世紀に入ったアフリカ美術に大きく影響を受けたようです。

 

また、マネやセザンヌルノワールといった印象派絵画のコレクターでもあったそう。

 

オダリスク」という作品では、布を多く用いるなど、その影響が細部に現れています。

 

マティスの作品は、どれもニースのアトリエで描かれたもの。

 

モネのジヴェルニーの庭のように、自分の空間を楽園にしたという点で共通しています。

 

産業革命などの、芸術家が生きづらい激動の時代を生きたモネとマティス

 

そこから逃れて、現実ではない理想郷を2人は求めたのではないでしょうか。